2014年7月3日木曜日

7・2泊原発再稼働を考える学習会被ばくゼロ避難計画訴え

規制委指針では、
被曝ゼロの避難計画はつくれない  
住民参加で被曝ゼロの
計画づくりと検証を

―7・2「泊原発の再稼働問題を考える学習会」で
各講師が訴えー

7月2日夜、泊原発の再稼働問題を考える学習会を開催、黒澤幸一代表委員(道労連議長)の開会挨拶に続いて3人が講演しました。参加は25人でした。


最初の講師・斉藤海三郎さん(ニセコの自然とエネルギーを考える会)は、町の3分の1が30キロ圏内(UPZ)にあり、町長は原子力災害から町民を守る「住民のための防災計画」づくりをかかげ、住民参加の原子力防災委員会(斉藤さんを含む町民公募委員2人含む)を設置。そのなかでニセコ町の避難の判断基準を“被曝ゼロ”に置き、放射能が放出される前から避難できる原発から5キロ圏内のPAZ並みにすべきだと議論して道に照会。道(後志振興局)は、国や道の指針やマニュアル通りにすべきだとし、APZ並みを認めなかった。UPZでは、放射能が放出されてからの避難であり、被曝が避けられないことになる。また、周りが山に囲まれた盆地型の岩内平野で、風向きによって放射性物質がどのように拡散するかのシミュレーションを行い、どの地域にどれくらいの速さで避難すべきかを調査した。道の避難計画では、風向きによって風下に避難する計画になっている地域もあることがはっきりした。
国や道の「指針」やマニュアルに従って原子力防災計画をつくっても、住民のいのち・財産を守ることはできません。原発推進の考え方の基本に、国民のいのちを犠牲にする暗黙の前提がある。これを乗り越える計画が必要だ。しかし、乗り越える計画を道に提出しても、道は逐一赤を入れ訂正してしまう。これでは、被曝ゼロの避難計画は出来ない。国の指針や道のマニュアルによってチェックされない計画づくりが必要だという考えに至って、国や道の指針やマニュアルは第9章で終わっているが、ニセコ町では第10章を設け、そこに町の地域や町の特性を踏まえ、町長が判断して避難できるものをつくろうと議論し、その作業を行っているーと住民参加の計画づくりの重要性について詳しく語りました。
大田勤さん(岩内町議)は、最初に福井地裁の大飯原発運転差し止め判決について、福島原発事故を踏まえ、原発は事故を起こせば人格権の根幹部分に対する具体的侵害の恐れがあることを認め、原発から半径250㎞圏内の原告の差し止め請求を認める画期的判決を下したものだと高く評価し、泊原発で事故が起きれば、稚内やオホーツク、根室などの一部をのぞき全道が大きい影響を受け、避難するにも避難できる場所がないと強調。   
ついで泊原発での安全対策工事の実態や被ばくが前提の町の防災・避難計画の問題点などについて語り、使用済み核燃料の貯蔵ピット(プール)が格納容器に隣接する建物で海抜30m位の高いところに設置され、下部はコンクリートで囲まれているが、上方は頑丈な作りではない、これでは安全対策とは言えないと告発。また、国や道の基準は、被ばくが前提の防災・避難計画づくりであり、このような避難計画のままで原発は再稼働すべきでない。再稼働反対、原発は廃炉にせよ!の運動が重要だと強調しました。
石崎健二さん(日本科学者会議会員)は、「避難計画に関する最近の話題から」と題して3つの話題をとりあげました。最初は大飯原発訴訟判決で「避難を余儀なくされる具体的危険性」が問題となっており、避難計画の有無や実効性などは論点になっていないとのことでした。
次は、大間原発訴訟の訴状で、差し止め理由は函館市が壊滅状態になること、避難計画の策定は不可能ということです。大飯原発と異なり避難計画も論点にしているのは、地域の壊滅には手の施しようがないとしても、人命だけならば助けられる余地があるからではないかとの見方を示しました。
最後は原子力規制委員会が5月28日に発表した「緊急時の被ばく線量及び防護措置の効果の試算について」の説明で、規制委員長は「今までの避難計画が被ばく線量だけに少し焦点を置きすぎている」発言しており、避難計画づくりがうまくいかないのは被ばくゼロをめざすからだと言いたいのではないか。被ばくを恐れて無理に逃げようとするな、屋内退避と安定ヨウ素剤を活用せよ、と自治体に圧力をかけてくるのではないかと注意を促しました。
最後に原発連代表委員の畠山和也さん(共産党道委員会書記長)が閉会挨拶を行いました。              (原発連事務局FAX通信より)