2016年11月24日木曜日

原発問題連絡会ニュース 第278号2016年11月20日


「北電の資料自体が、積丹半島西岸の地震性隆起を裏付けている」
「規制委は北電に再掘削調査を要求すべき!」
                 ―小野有五さん熱く語る
      11・10泊原発活断層問題等講演会に約60人
 
  道原発連と国民大運動北海道実行委員会は11月10日夜、北星学園大学教授(「行動する市民科学者の会・北海道」事務局長、北大名誉教授)を講師に迎え、札幌市内で「泊原発の敷地内活断層と北電のごまかし、原子力規制委員会の審査の問題を考える」講演会を開催、約60人が参加しました。


講演会で小野有五さんは、積丹半島西岸が海成段丘であり、その形成過程について、泊原発が立地している岩内平野の岩内層の断面図など、北電が規制委員会に提出したカラー写真や説明資料とともに、この分野の研究成果として知られる東大出版会発行の小池・町田(2001)著「海成段丘アトラス」などの文献も示して、積丹半島西岸の隆起は、北電が説明しているように120万年前からゆっくり隆起したものではなく、12万5千年前以降、岩内層が何度かの地震によって隆起した以外に考えられないと、専門的立場から約80分間にわたって詳しく語り、参加者に納得と共感が広がりました(写真)。

 




参加者から「岩内層の形成の複雑さと北電の提出資料のずさんさがよく分かった」「人間の時間単位と地球や自然の時間単位はものさしが根本的に異なることについて認識を新たにさせられた。“今年4月の熊本地震は5年前の東日本大震災の続き”(余震?)だと話され、日本一長大な中央構造線を地図で示し、熊本地震がその構造線の続きにあることがよくわかるとし、東日本大震災から5年もたったと思っているかもしれないが、地球の歴史の時間単位から見れば、ほんの一瞬のこと、熊本地震はその続きだ“という説明は大変腑に落ちるものだった」「むずかしい地質や断層の話を短時間にわかりやすく講演してくれありがたかった。大変勉強になりました」などの感想が寄せられました。


講演を力に、泊原発再稼働STOPへ、小野有五先生らの「行動する市民科学者の会・北海道」の主張を広範な道民に広げ、北電のずさんな調査や誤魔化しを許さず、規制委員会に厳正な審査を求めましょう。



以下に、佐野弘美共産党道議が共産党北区地区発行の「北区新報」(第1360号、11月20日)に寄せた講演会の感想を紹介します。

やっぱりいらない原発    佐野弘美 (道議会議員)



今回講演会に参加しました。
泊原発が立地する地盤について北電は、120万年前からの『岩内層』という岩盤で、ゆっくりとした広域的隆起が起こった場所として説明していますが、本当は12万5千年前の地層で、過去(それ以降)に起きた地震によって隆起した場所だそうです。さらに、泊原発の敷地内には活断層まで存在するそうです。北電のいうような安定した地盤ではなく、今後も活断層による地震が起こりうるということを、データを示しながら丁寧に説明されました。


重要なのは、原子力規制委員会が北電の説明を真に受けて、これらのデータに目をつぶっているということです。今年4月の熊本地震でも明らかなように、日本は地震列島であり、いつ、どこで起きるか全く予測できません。やはり日本に原発はいらない、この声と運動を大きく広げるためにがんばります。



「とめよう!原発再稼働 
   かえよう!福島切り捨て政治 
 国と東電が責任を果たすことを求める請願署名」
                 =新100万人署名推進を
  ―原発をなくす全国連絡会の
            小田川義和さん(全労連議長)が訴えー


  11月10日の講演会には、「原発をなくす全国連絡会」から小田川義和全労連議長がかけつけ、福島原発事故を無かったかのように切り捨てようとする安倍自公政権の暴走を告発し、フクシマ復興支援、原発再稼動阻止、全原発廃炉を、政府と東電の責任で行うよう求める新100万人署名への協力と来年3月のフクシマから6周年に向けて全国紙と福島県地方紙へのインパクトのある全面意見広告の成功、各地で集会やデモパレードにも取組み、政府と東電に責任ある解決を迫ろうと呼びかけました。


北海道でも11月から新100万人署名と
              全国紙意見広告に踏み出そう!


新婦人道本部は、目標の半分は新婦人でやろうと、新100万人署名用紙を支部・班へ送付しています。

原発連と国民大運動北海道実行委員会加盟団体は、それぞれ目標を決めて11月から新署名運動と全国紙意見広告掲載運動のスタートを切りましょう。毎月のイレブンアクション、チェルノブイリデーでも、新100万人署名を位置づけて取り組みます。ご協力をお願いします。

 


11月イレブンアクション 8団体10数人、
           道議会請願署名31筆


11月11日昼休み、紀伊国屋書店札幌本店前で、泊原発は再稼働せず、廃炉に!、大間原発は建設中止を!北海道を核のゴミ捨て場にするな!原発をやめて再生可能エネへ転換せよ!―の4項目の道議会請願署名への協力をチラシ配布しながら、マイクからも訴えました。(写真 下)
 

 
 
 
 


《原発ゼロをめざす地域の会の活動紹介》

 幌延深地層研究センター視察・現地交流ツアーを実施

9月24~26日「原発やめよう!登別の会」の活動から
 今回は、「原発やめよう!登別の会」が9月下旬、2泊3日の日程で取り組んだ幌延深地層研究センター視察・現地交流ツアーの概要を、「会」が毎月定期発行しているニュース第53号(10月5日発行)から転載します。ただし、左記の見出しは、原発連がつけました。

地下3500メートルの坑道で実物大(模型)の埋設試験を見学

 現地交流で「幌延深地層研究期間20年で撤退する協定を守れと
                         声を上げてほしい」と要請うける
 9月24日(土)に登別を「会」の代表兼事務局長の宮尾正大さんら会員6人で出発。幌延の宿泊施設に一泊し、翌日25日(日)午前中研究センターのPR施設「ゆめの地層館」の見学と地下350㍍の地下施設の視察、午後は地元で核のごみ施設誘致に反対している住民運動団体「核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会」との現地交流を行なってきました(写真)。
 「ゆめの地層館」の案内では、(地層館の)担当者が、2000年11月に北海道と幌延町との3者間で、「放射性物質を持ち込まない、使用しない」ことを約束した「幌延町における深地層の研究に関する協定」(3者協定)を強調し、館内の各所にこの「協定」が張り出され、研究後は地上の研究施設は閉鎖し、地下施設を埋め戻すということを何度も強調している態度が、逆に、「本当かな?」とのかんぐりと、幌延などでたたかい続けている方々の運動によって、追いつめられてきた結果かなとも思いました。
 地下350メートルの地下に造られている地下施設への視察では、作業衣、ヘルメット、蛍光安全帯、長靴、懐中電灯、軍手、入坑許可証など重装備で10人乗り位の工事用エレベーターで10分くらいで地下坑道を降り、担当者の案内で一周約800㍍の行動を歩き続けました。
 そこでは安全問題を強調しながら「大量湧水対策」「メタンガス対策」「地震計」などについて説明を受け、高レベル放射能汚染廃棄物についてガラスで固定化し、分厚いステンレスで囲い500キロにもなる高レベル放射能汚染廃棄物を梱包したものをさらに、粘土を主成分にした緩衝剤で覆い、重さ数十トンになったものを地下300㍍以深に埋めるという研究について、現物を見ながら説明を受けました。
 この説明を聞きながら、この「費用は誰が負担するのかな」と宮尾代表に聞くと、すべて国民の電気料金に含まれているとのこと。
 現地でたたかっている方との現地交流では、「幌延の地域では原発の廃棄物貯蔵などについてはタブー化している」「議員の多くが賛成している」「借金を持っている農家は、これで借金がなくなるとの話に乗ってしまった方が多い」などの話も出され、幌延には年間2億円から3億円の財源が交付されていることも知らされました。
 私たちの会に対する要望課題として「北海道知事に幌延深地層研究20年で撤退との取り決めを守り、撤退を約束した協定を守れとの声を上げてほしい」「各地域での原発問題に対する情報を共有化したい」「権力者の側が核廃棄物の新地層処分を決める前に反撃していきたい」などの声が寄せられました。(参加者の感想文などは紙面の都合で省略します)。

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《原発連ニュースにみる道原発連のあゆみ》   第5回  

 

原発連第2回総会のこと      菅野一洋 (道原発連 顧問)

 

「原発連のあゆみ」(以下「あゆみ」)第4回は、安全性の未確立な泊原子力発電所と幌延の「貯蔵工学センター」を設置しない条例を求める直接請求署名が54万人を集めたことについて、「北海道の社会運動の歴史に残る」と記しています。スリーマイル島原発事故(1979年3月)からチェルノブイリ原発事故(1986年4月)へと世界を震撼させた大事故が続く中で、北海道で初めて「泊・幌延」の原発問題が道民の前に立ちはだかったこと、そして、それとたたかったからだと思います。

 それには、原発連が発足から7年間の苦節に耐えて1988年4月26日、「住民の安全を守るために大衆的な運動組織を再建する」(議案書)として開いた第2回総会の大きな役割がありました。道民にとっても、道内の民主勢力にとっても原発問題はまったく新しい課題でした。運動を進める側には絶えず未知との闘いがあり、それへの献身が求められました。

 「あゆみ」第3回に、「札幌の鉄道病院の北側にあった統一労組懇の事務所から泊村(など現地)に何度も通うことになりました」というくだりがありますが、当時の活動家たちの毎日の姿を思い出させるものがあります。
 総会議案の「経過と情勢」では、「あゆみ」第1回に紹介されている「泊原発設置反対運動の第一ラウンドが終わりを告げようとしている頃」までの地元町村や漁協、住民組織などの原発「反対」から「条件付き賛成」に至るまでの推移、住民と科学者たちの共同など、さまざまな様子が語られました。 
 幌延では、全日農、新婦人、高教組、共産党が1982年に核廃棄物反対現地共闘会議を結成。続いて幌延、天塩、豊富、中川、稚内、名寄6市町の住民団体、個人が参加して「核廃棄物施設の 誘致に反対する道北連絡協議会」が発足した(1985年1月)ことが報告されました。原発連が札幌で、幌延現地調査の報告会を開いた(1984年11月6日)ことも報告されました。
全国各地の原発反対組織が東京に集い、「原発問題住民運動全国連絡センター」が結成された(1987年12月13日)ことが報告され、大きな拍手でこれを歓迎しました。
 総会は原発連発足後の活動を確認するとともに、当面の方針として泊原発運転反対と幌延「貯蔵工学センター」立地反対の署名の推進、学習会、「反対の会」への加入促進、各地域の運動の交流、「全国センター」への加盟などを確認。会の目的と運営、活動と財政などを取り決めた会則を第2回総会の決定としました。
 日本の原発が70年代に20基が運転、80年代には16基を運転しようとする国の原子力開発利用長期計画の急ピッチな推進の中で北海道は、北電が泊原発の核燃料搬入を強行(1988年7月21日)して試運転の準備に入り、動燃は1986年8月の強引な資材搬入に始まるボーリング調査(1987年)をもって幌延を事実上適地とする報告書を科学技術庁に提出するなど、道民の不安はいちだんと厳しいものとなりました。
 こうした情勢のもとで原発連は、道民の生命と安全に責任を持つ道行政が泊・幌延の運転と建設を中止する措置を取ることをもとめ、そのための道条例制定の直接請求に取り組む実行委員会の発足を各界によびかけることを決意しました。
1988年8月17日、「安全性の未確立な泊原子力発電所と幌延の『貯蔵工学センター』を設置しない条例制定直接請求」全道実行委員会結成総会が札幌市で開かれました。
 
 
 
 

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