チェルノブイリ原発事故30周年記念講演会に40人余
「泊原発再稼働ストップ!廃炉への道を考える」
4月27日夜、札幌市内でチェルノブイリ原発事故30周年記念学習講演会が、原発問題全道連絡会と国民大運動北海道実行委員会の共催で開催されました。会場には、遠くは十勝や深川、小樽などから40人余が参加し、報告と記念講演を最後まで熱心に視聴していました。
講演会では、米谷道保原発連代表委員が、昨年10月に新潟県が実施したチェルノブイリ原発事故等調査結果について、新潟県が発行した「チェルノブイリ原発事故等調査結果報告書」を読んでと題して約30分間報告。ついで今橋直弁護士(自由法曹団北海道支部、泊原発廃炉訴訟弁護団、道原発連理事)が「泊原発の再稼動ストップ!廃炉への道を考える」と題して約70分間記念講演を行い、参加者の質問にも丁寧に答えました。
原発訴訟は、勝利と敗北の攻防が続いているのが
現局面の特徴
~ 今橋直弁護士が記念講演 ~
記念講演する今橋直弁護士 (エルプラザ2階 4月27日) |
―人格権は憲法上の権利であり、その侵害行為の差止を求めることができるー
次いで今橋弁護士は、人格権に基づく差し止め請求の根拠について、人格権は憲法上の権利(13条、25条)であり、わが国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、人格権に基づいてその侵害行為の差止めを請求できると述べました。
さらに、原発訴訟の本訴と仮処分の違いについて、本訴は普通の正式な裁判だが、判決までに時間がかかり、判決が出るまで執行力(実行力)がない。一方、仮処分は、本訴の判決を待っていたのでは、権利の救済がはかれなくなる恐れがある場合に、簡易な裁判によって、一応の救済をはかるもので迅速な判断が出ると説明しました。
―裁判所は、原発の安全性・危険性をどのように判断しているのかー
今橋弁護士は、裁判官の多くは法学部出身者であり、原発のような理科学に関わる問題ついては素人で詳しくない場合が多い。では裁判所はどのようにして判断するのかと問いかけ、主張の立証責任は、一般的原則では訴えを起こしたものに立証責任がある。しかし、原発については、運転する事業者(電力会社)が、専門的知識や資料を十分持っているので、まず事業者(電力会社)の側が、原発の運転・稼働によって放射性物質が周辺環境に放出され、その被ばくにより住民らがその生命や身体に直接的かつ重大な被害を受ける具体的危険性が存しないことについて、相当の根拠、資料に基づき立証する必要があり、事業者の側が主張の立証を尽くさない場合には、具体的危険が存在することが事実上推定されるという扱いになっている。要するに電力会社が安全性を証明せよ、それができないときは危険だと推定されるという枠組みで訴訟が行われているとのべました。
―最近の裁判で結果に違いが生じているのは何故か?―
次いで今橋弁護士は、最近の裁判で、裁判所の審査・判断の枠組みは同じなのに、なぜ結論が反対になっているかーに話を進め、福井地裁が高浜原発3、4号機の運転差止の仮処分を決定(20015年4月)したのに対し、同じ福井地裁が、関西電力の異議審(12月24日)では、原子炉施設に絶対的安全性を想定することはできないとし、基準地震動も基準津波も、最新の科学的・技術的知見を踏まえて適切に評価し、規制委員会も専門的・技術的知見に基づき中立公正な立場で個別的具体的に審査する規制基準の内容に不合理な点はないーということを根拠に、4月と逆転して仮処分を却下した。川内原発の仮処分申請(即時抗告)も同様な論拠で却下した。
一方、高浜原発3、4号機の差止め仮処分申請に対する大津地裁の仮処分決定は、フクシマ事故を踏まえ、原子力行政に大幅な改変が加えられた後の事案であるから、事故を踏まえて原子力行政がどのように変化し、その結果、設計や運転の規制が具体的にどのように強化され、電力会社がこの要請にどのように応えたかについて主張を尽くすべきで、規制委員会が審査の結果、許可を与えた事実だけでは必要な証明がされたといえない―と主張したと説明。また、フクシマ原発事故の原因究明は、建屋内での調査が進んでおらず道半ばの状況で、津波を主たる原因と特定してよいかも不明だ。災害の甚大さに真摯に向き合い、2度と同様な事故発生は防止するという見地から安全確保対策を講ずるには、原因究明を徹底的に行なうことが不可欠だ。しかし、電力会社ひいては規制委員会の姿勢が今のようでは、新規制基準策定に向かう姿勢に非常に不安を覚える―などとして運転差止の仮処分を決定した―と述べました。
― 「原発廃炉が社会通念だ」と司法が思えるよう、
裁判でも運動でも頑張ろう ー
最後に今橋弁護士は、泊原発の廃炉訴訟の進行状況に触れて、今年2月までに16回の口頭弁論が行われ、各回とも原告から1~3名の意見陳述と弁護士による弁論を行っているが、裁判の進行は遅い。事実上、裁判所も被告の北電も、規制委員会の判断、審査の結論が出るのを待っている。
ではでどうすれば、廃炉への道を開くことができるか。今年3月9日の高浜原発3、4号機の仮処分決定(大津地裁)は、「過酷事故対策について、「このような備えが十分であるとの社会一般の合意が形成されたと言ってよいか、躊躇せざるを得ない」として決定している。
一方、川内原発の仮処分申請の即時抗告を却下した福岡高裁宮崎支部(今年4月)は、「福島事故後に原発規制に関する新たな法制が策定されたことにもかんがみると、原発施設の安全性が確保されない時にもたらされる災害がいかに重大かつ深刻なものであるとしても、最新の科学的、技術的知見を踏まえた合理的な予測を超えた水準での絶対的な安全性の確保を求めることが社会通念になっているということはできない」として却下した。
従って、いま、泊原発の再稼働をストップさせ、廃炉への道を勝ち取るには、「絶対的な安全性の確保を求めることが社会通念になっていると言える」状況をつくることにある。裁判でも、運動でもそういう社会通念をつくりあげることが重要になる―と述べ終了しました。
チェルノブイリ原発事故は史上最大最悪の原発事故 ~ 30年後の今も収束・廃炉の見通しさえ立たず
報告する米谷道保代表委員 (エルプラザ2階 4月27日) |
大間原発建設ストップへ
ー 住民運動と2つの訴訟をたたかう函館・道南住民
紺谷克孝函館市議
青森県下北半島・大間からたった17・5キロ、函館市の戸井・汐首岬で、「大間原発大間違い」「マグロもイカもイカッテル」毎月第3日曜日のバイバイ大間函館ウォークの集会とパレード、5月15日は汐首岬の突端で開催されました。
函館市民など千人が原告となって進める大間原発建設中止を求める裁判の口頭弁論は、7月8日で第20回目を迎えます。そして9月からはいよいよ裁判での山場となる主尋問、反対尋問が始まります。期間は9月から来年の3月まで半年をかけて行われ、原告側は5人の証人を立て勝利のため、奮闘することとなっています。一方、函館市が、国と事業者・電源開発を訴えている裁判の口頭弁論は、4月20日に第8回が東京地裁で行われ、原告代理人は、準備書面16の内容を詳しくプレゼンテーションしました。その内容は2つの裁判①高浜原発3、4号機運転禁止の仮処分決定をした大津地裁の判決②川内原発1、2号機の稼働差し止め仮処分申し立てを却下した福岡高裁宮崎支部の決定を、詳細に分析し、大間の判決の判断としては、ぜひ大津地裁決定に学び、宮崎支部の判決は他山の石にするよう強く要請しました。
大津地裁の決定では、福島原発の事故を防ぐことができなかったという反省に立ち、裁判所がその教訓をどう生かすのかということが大切としています。また審査される基準となっている新規制基準そのものが、過酷事故対策、耐震性能、避難計画などについて、とても十分余裕を持った基準でないと指摘しています。厳格なヨーロッパ諸国の基準では日本の原発・大間の申請は許可されないとも主張しています。反面川内原発の住民側訴えを却下した宮崎支部の決定は、判断の基準を「社会的通念」というあいまいな言葉を都合よく利用し「2度と起こしてはならない福島」「厳格さを求められる基準」「一万年に一回程度の破局的火山噴火」などを無視・軽視した判断となっています。先行する住民裁判がとても重要で、函館市の裁判の決定に重要な影響与えることは確かです。
函館市では、市内全域で組織されている町会連合会が、昨年に続いて第2回目の大きな集会を、10月17日に開催されることとなっています。滋賀県大津市の住民らが訴え、高浜原発をストップさせた大津地裁の判決は、原発から70キロ~80キロ離れている他県の住民の訴えを認めた点でも、函館市民を勇気づけ、新たな展望が開ける情勢を生み出しています。(紺谷克孝・道原発連理事)
《原発連ニュースにみる道原発連のあゆみ》 第2回
原発問題全道連絡会の活動に思う
当時、泊原発は北海道知事の同意を求める最終段階にあり、それを阻止すべく対道交渉や現地での集会・街頭宣伝などを行い、また原発に反対する道内労働組合の中でも全道労協大会で「岩内の魚の不買運動」などの提案もあり、それを撤回させるなど、漁協・地域住民と共同する運動を進めていました。
原発の安全性については科学者会議のメンバーを中心に、「原発安全神話」と対峙し、スリーマイル島の原発事故や敦賀原発事故隠しなどもあって、議論は大いに盛り上がりました。その中で、冷却水問題が原発のアキレス腱、との認識が広がりました。このことは福島原発事故で実証されましたが、当時は論争の段階でした。結果は双方「相討ち」の状況で、これは道知事をはじめ自治体の長にとっては原発同意の「GOサイン」でした。さらに決め手となったのは地元住民の「合意」でした。そこに至る経過をみると、国、道、北電の交付金を示しての強力な誘導・働きかけがあり、一方、現地にはこのままでは将来が見えない過疎と貧困の状況がありました。
当時は科学者会議のメンバーの中にも原子力平和利用を「自主」「民主」「公開」の三原則を厳守しつつ進めたいとの意見もありました。原発からの「撤退」の声が大きくなったのは、何と言っても福島原発事故の惨状を目の当たりにした結果と云えます。福島原発事故の検証には、各種事故調査委員会の報告書がありますが、福島原発事故の検証は、未だ終わってはいないと強く思っております。また、事故後5年を経過しましたが、事故の中心である炉心溶融の状況が未だに不明であり、それを明らかにする道も、大量の汚染水問題に阻まれている現状があり、事故はまだまだ収束していません。
それにもかかわらず、原発の再稼働の動きが急です。原子力規制委員会の原発再稼働の適合審査報告書のもととなる新規制基準は、急ごしらえの不備なもので、原発再稼働を容易にするための「配慮」が随所になされた「甘い基準」であることが明らかにされてきています。
私は、現在盛岡市に居住し、大学教員、医師、弁護士等約100名で構成する「原発からの早期撤退を求める岩手県学識者の会」の代表世話人の一人をやっています。この活動を進めるうえで北海道での経験は大きく役立っています。原発連の35年、300号に近づくニュースに思いをはせつつ、原発連の充実したホームページで活動を拝見しながら多くのことをこれからも学んでいきたいと思っています。(2016年5月7日記)