2016年12月28日水曜日

原発問題連絡会ニュース 第279号 2016年12月20日


2016年 原発再稼働STOP!
                    どうする核のごみ!
 「全国交流集会in岩手」に15都道府県から270人      


  今年の全国交流集会が11月27日、岩手県盛岡市内で開かれ、15都道府県から約270人、うち岩手県内から200人余、北海道から5人が参加し、終日熱心に基調報告と記念講演、各地の経験を視聴し、交流を深めあいました。岩手県は原発未立地県で原発問題住民運動県連絡センターも未結成です。こういう県での成功は意義深いことです。


伊東達也筆頭代表の基調報告にもとづき

         原発・核燃サイクルから撤退の運動をさらに広げよう

 
基調講演は約50分でしたが、内容の濃いものでした。1つはフクシマ後の情勢の特徴。被災者対策も被災地対策も進まず、被災県民切り捨て政治が目に余ること、いまだに帰還困難区域の337㎢、26300人の居住者には帰還計画も除染計画もなく、黙っていれば廃村と棄民が強いられかねない。浪江町津島地区が集団訴訟を起こしたのは当然のこと。2つは、事故収束対策の見通しも立たないまま、国と東電はフクシマ原発事故の検証も行わず、原発再稼働と海外輸出に暴走―これほど無責任なことはない。3つは、日本の原発災害損害賠償法で無限責任だったものが、事故後原子力損害賠償支援機構法に改悪され、東電を生き残らせたばかりか、2014年には原子力損害賠償・廃炉等支援機構法に再改変され、廃炉費用を国民に負担させるものとなった。チェルノブイリ原発事故30周年の今年秋、ウクライナなどの現地調査に行ったが、あらためてウクライナやベラルーシでは、原則として国の責任で被災地を決め被災者を特定し、事故被災者に対する健康と暮らしを保障することをチェルノブイリ法に法制化している。対比して日本では「子ども被災者支援法」は出来たが、国が責任をもって支援する法制度にはなっていない、何としても「国が責任もつ原則」にして支援施策の抜本的拡充・強化を求めていく―と強調。
4つは、原発再稼働反対の運動と福島切り捨て政治の転換を求める運動を前進させようと訴え。
5つは、核のごみの最終処分場問題と岩手県の歴史的かかわりを紹介したうえで、政府が進めている科学的有望地の候補地選定作業の動向に触れつつ、社会的合意形成の方向を示す日本学術会議の「回答」と「提言」を踏まえ、社会的合意形成に尽力しようと呼びかけました。

最後に、原発・核燃サイクルからの撤退の合意形成について、運動の到達点を司法の前進や再稼働を争点に勝利した鹿児島県と新潟県の知事選の勝利の教訓に触れつつ、国と電力会社の責任を明確にせよと求める運動を起こそう。衆院選では「原発」を争点に安倍自公政権を打ち負かそう。来春に向けて「国と東電が責任を果たすことを求める請願署名」運動を成功させよう。3月4日には「ふくしまの復興と原発ゼロをめざす3・4大集会」(東京・日比谷野音)を成功させよう―などと呼びかけました。


今田高俊東京工大名誉教授(社会学)の記念講演を

         核のごみの最終処分問題の国民合意形成に生かそう
 
 
午後の冒頭に今田高俊東京工業大名誉教授(日本学術会議フォローアップ委員会の責任者を務めた)の記念講演「高レベル放射性廃棄物最終処分をめぐる日本学術会議の『回答』と『提言』について」がありました。岩手県の北上山地は地層が安定した花こう岩層と言われ、高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場の有力な候補地の一つと言われていて県民の関心も高く意義ある講演となりました。日本学術会議の『回答』と『提言』には、日本学術会議全体の合意をはかるうえで、やや譲歩的ととられる表現部分もあるとの説明も含め、日本学術会議が内閣府の機構の一つとは言え、今もそれなりの独立性・自律性を保持しており、その提言は、やはり意義あるものと受け止めることができました。特に国民合意形成へ向けた3つの組織・機構の提言―高レベル放射性廃棄物問題総合政策委員会を上に置き、そのもとに核のごみ問題国民会議と科学技術的問題検討専門委員会を置くーは、政府・経産省やNUMOは無視しているが、まじめに核のごみの処理・処分問題で国民合意の形成をはかる上では、今後必ず役立つものだと受け止められるものでした。

 
【特別発言から】  報告に続いて行われた特別発言から3氏の発言(要旨)を紹介します。


 井上勝博さん(さつま川内市議)は、11月の市議選で得票を417票増やし勝利、初当選の社民党市議と新会派「脱原発の会」を結成。鹿児島県知事選で三反園候補は、原発問題に意思表明がなく、やむを得ず県労連から候補を擁立した。候補の一本化を求める県民世論が高まり、「川内原発をいったん停止し、熊本地震の影響の再検証を行う」を公約に掲げることで告示1週間前に一本化が実現。原発問題が争点に浮上して8万票差で圧勝した。三反園知事は、九電に2回停止を申し入れたが拒否された。いま知事は、熊本地震の影響などを検証する検証委員会の設置を決意し、検証委員の人選を検討中。県議会は51人中39人が自民など原発推進派。県民は、再稼働反対を粘り強く闘い、一年間原発ゼロを実現した。ここに県民合意の方向がある。これを力に引き続き闘っていく―と発言
 

 山本雅彦さん(福井県嶺南連絡センター代表委員、大飯原発訴訟原告団)は、原発反対の全勢力が署名に取組み30万筆を超えた。昨年12月に知事に提出したが知事は出てこない。署名の中でのアンケートでは「子どもが小さい、原発は動かさないで」「原発止めても仕事はなくならない。動かさないことに賛成」など合意が広がった。大飯原発の再稼働差止訴訟は名古屋高裁金沢支部で争っている。裁判長は最高裁から来た人物で、一気に福井地裁の樋口判決を覆すだろうと思われていた。しかし、最近「若狭湾の地震の構造がよくわからない。これでは基準地震動が決められない」とか「規制委員会にいた島崎邦彦さんを証人に呼ぶ」と言い、立石雅昭先生なども証人に呼ぶことも認めた。広域避難については、まともな避難ができるマニュアルもないことが藤野、倉林国会議員の質疑でわかってきた。この問題も闘っていく―と発言。

持田繁義さん(柏崎市議)は、この間参院選と3つの首長選挙があった。参院選は市民と野党共同の森ゆうこさんが激戦を制して僅差で勝利。県知事選は、野党と市民共同の米山隆一候補が予想を覆して6万票の大差で勝利し、新潟ショックが起きた。米山候補は告示6日前に立候補を表明し①再稼働を許さない大義を掲げ、本気の共闘が実現した。NHKの出口調査でも、再稼働反対が62%、自民支持層の24%、民進支持層の83%、無党派層の60%で、再稼働許さないが県民世論という結果になった。一方、柏崎市長選挙は推した女性候補が敗れ、刈羽村長選は、再稼働オンリーの現職の無投票5選を許した。この間「なくそて原発!」の奮闘があって「再稼働を許さない柏崎刈羽の会」を結成して頑張れた。相手側は経団連が乗り込んできて「柏崎刈羽原発を動かすことが原発の安全性を示すことになる」などと大キャンペーンをはった。これに対抗して大同団結し、再稼働を許さない!が過半数を制した。全県民の運動が巻き起こりつつある―などと発言。
 
 
泊原発原子力防災訓練 ~
   これで安全最優先の避難訓練と言えるか
―手順確認の訓練にしても、
      あまりに安易なミスや計画変更など続出―
              岩内町の大田勤議員の視察から
 
今年度の泊原発の原子力防災訓練が13,14日の2日間にわたって行われました。道原発連は、北海道原子力防災センター(オフサイトセンター・共和町内)の現地対策本部の立ち上げや岩内町の要配慮者の避難、屋内退避訓練、環境中に放出された放射線量測定のモニタリングポスト設置訓練などを大田勤岩内町議が現地視察しました。いくつかの例を紹介します。
その1 テレビ会議を進める道庁危機管理官の音声が出ない
                初歩的ミスからスタートとは?

13日午前10時30分オフサイトセンターで原子力規制庁、道庁の危機管理官、泊村長、共和町長のテレビによるオフサイト会議は、進行役の道庁の危機管理官のマイクから音が出ないミスが発生し、急きょ規制庁の担当者が「本来は道が会議を進めるところですが、私の方でレジメを読みあげます」とメモを読み、泊村長と共和町長の確認を取って会議を終了するありさま。目を疑う光景でした。

その2 ヘリで飛来予定の中央省庁要員用ヘリ飛ばず。
           副大臣もヘリをバスに変更し1時間遅れ

 中央省庁派遣要員約40人はヘリで岩内町陸上競技場に正午頃到着予定で、競技場駐車場には報道関係者用のスペースも確保され、会場整理要員がヘリ到着を待っていました。当日の岩内の天候は曇り、雨は降っていませんでした。30分前には小型ヘリが競技場の上空を通過していきました。ところが、到着20分前に係員が来て「今日は飛んでこない」と連絡に来ました。現地対策本部長を務める予定の内閣府副大臣もヘリでの共和町の憩いの広場への飛来を断念し、バスに変更、オフサイトセンター到着が1時間遅れ、結局現地事故対策連絡会議は中止され、代わりの会議も開かれませんでした。一方、副知事はヘリで共和町憩いの広場に到着していました。

 その3 初めての安定ヨウ素剤配布訓練だったが、
               事前配布が一番効果的では?

回岩内町では初めて安定ヨウ素剤の緊急配布訓練が行われた。訓練参加者は大人14人、乳幼児2名の16名。事前の説明では、「ヨードチンキやうがい用のルゴール液でアレルギーが出る方は服用できません」と説明があった後、問診を受け、大人はヨウ化カリウム2錠、幼児はヨウ化カリウムゼリー状(模擬)が配布された。手順確認は必要だが、問診待ち時間が子どもたちには大変。訓練だから親は落ち着いていたが、事故になれば、問診する側も受ける側も相当混乱するのでないかと危惧された。
岩内町の0才から5歳まで約500人、6歳から18歳まで約1400人、歩行困難者約2500人、集合場所に集まれない住民も含め全町民に速やかに安定ヨウ素剤を手渡すことができるのか疑問でした。「誤飲を避けるために、問診を受けてから安定ヨウ素剤をもらったほうが安心」という幼児を抱えるお母さんもいたが、避難集合場所やバスで移動(避難)するときにヨウ素剤を受け取ることができるというが、自家用車による避難者はそのまま30キロ圏外に移動し、安定ヨウ素剤を手にすることができないのではと不安はぬぐえませんでした。
配布には事前問診が必要であり、一刻も早く子どもたちが服用できるようにするには、事前配布が一番効果があると思われた。
 
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《原発連ニュースにみる道原発連のあゆみ》   第6回  
 
「泊・幌延」直接請求運動  その1   菅野一洋 (道原発連 顧問)
 
「泊・幌延」直接請求の会の結成総会は1988年8月17日、全道から50団体が結集(または加盟の意思を確認)して開かれ、①会が要求する条例の内容、②署名目標と受任者の組織目標、③推進体制、を討議し確認。「道民へのよびかけ」を採択したたかいの火ぶたを切りました。盆明けの暑い日でした。

  *署名目標 ― 条例制定を請求するには、その該当する自治体に住む有権者の50分の1(北海道は8万人)以上の有効署名が必要。総会は50万署名を目標としました。
  *受任者 ― 署名を収集する人。国家公務員と5現業職員、公立学校教員は、法律の制約があるため受任者になれない。総会は受任者を2万5千人以上を組織するとしました。
 総会が確認した「条例と内容」、「具体的な取組み」の主要点は以下の通りです。
 〈条例と内容〉 安全性の未確立な泊原子力発電所と幌延の「貯蔵工学センター」を設置しない条例
  ―安全性の未確立な泊原発と幌延の核廃棄物「貯蔵工学センター」を設置せず、道民の生命と安全、豊かな自然を守ることを目的とする。
    そのための条例案として、①原発や核廃棄物貯蔵・処分施設はいずれも技術的に未完成で安全性の保障がないこと ②知事はこれらの施設の運転・建設の中止を勧告し、また、一切の協力をしないこと(この点で、全道労協が中心となって進めている「直接請求」は「知事…が原発運転の可否について道民の意思を確認することを目的」とし、道民投票の結果を「設置者と国に伝える」というだけであること)
   *全道労協などで構成する「泊原発凍結道民の会」が泊原発1号機運転に対し道民投票条例制定を求め直接請求署名を展開(1988年7月25日~9月25日)
 〈具体的な取組み〉 ―一刻も早く全道の全ての市町村に実行委員会を結成する。職場、学園でも実行委員会をつくり、宣伝、組織戦のセンターの役割を果たす。ニュースを発行し全道の取り組みを知らせみんなで活動の輪を広げる。各実行委員会はビラや宣伝カーを出し「泊・幌延」の風を吹かせる。 原発問題や、「いま、なぜ直接請求か」など大中小の学習会を開き、確信を深めあう。 全道民に「泊・幌延」直接請求運動への協力を呼びかける。
総会の終了後、会は記者会見をして結成総会の詳細を説明。直接請求の法定手続きが済み次第、全道一斉に署名運動が実施されることになること
を報告しました。

 8月22日、会は北海道条例制定を道知事に請求しました(地方自治法第74条第1項の規定により道条例制定を請求したのは齋藤敏夫、渡辺昌子、伊藤正明、鷲見悟の4氏)。請求代表者は同証明書の交付を道知事に申請しました。
「泊・幌延」署名推進ニュース第1号(8月24日付)は“いよいよダッシュ”の大見出しで全道に檄を飛ばしました。
 9月10日、安全性の未確立な泊原子力発電所と幌延の「貯蔵工学センター」を設置しない条例の制定を求める直接請求の代表者証明書が交付され、直接請求運動は告示されました。11月10日までの2カ月間にわたる「泊・幌延」直接請求のたたかいです。
 
 
 

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2016年11月24日木曜日

原発問題連絡会ニュース 第278号2016年11月20日


「北電の資料自体が、積丹半島西岸の地震性隆起を裏付けている」
「規制委は北電に再掘削調査を要求すべき!」
                 ―小野有五さん熱く語る
      11・10泊原発活断層問題等講演会に約60人
 
  道原発連と国民大運動北海道実行委員会は11月10日夜、北星学園大学教授(「行動する市民科学者の会・北海道」事務局長、北大名誉教授)を講師に迎え、札幌市内で「泊原発の敷地内活断層と北電のごまかし、原子力規制委員会の審査の問題を考える」講演会を開催、約60人が参加しました。


講演会で小野有五さんは、積丹半島西岸が海成段丘であり、その形成過程について、泊原発が立地している岩内平野の岩内層の断面図など、北電が規制委員会に提出したカラー写真や説明資料とともに、この分野の研究成果として知られる東大出版会発行の小池・町田(2001)著「海成段丘アトラス」などの文献も示して、積丹半島西岸の隆起は、北電が説明しているように120万年前からゆっくり隆起したものではなく、12万5千年前以降、岩内層が何度かの地震によって隆起した以外に考えられないと、専門的立場から約80分間にわたって詳しく語り、参加者に納得と共感が広がりました(写真)。

 




参加者から「岩内層の形成の複雑さと北電の提出資料のずさんさがよく分かった」「人間の時間単位と地球や自然の時間単位はものさしが根本的に異なることについて認識を新たにさせられた。“今年4月の熊本地震は5年前の東日本大震災の続き”(余震?)だと話され、日本一長大な中央構造線を地図で示し、熊本地震がその構造線の続きにあることがよくわかるとし、東日本大震災から5年もたったと思っているかもしれないが、地球の歴史の時間単位から見れば、ほんの一瞬のこと、熊本地震はその続きだ“という説明は大変腑に落ちるものだった」「むずかしい地質や断層の話を短時間にわかりやすく講演してくれありがたかった。大変勉強になりました」などの感想が寄せられました。


講演を力に、泊原発再稼働STOPへ、小野有五先生らの「行動する市民科学者の会・北海道」の主張を広範な道民に広げ、北電のずさんな調査や誤魔化しを許さず、規制委員会に厳正な審査を求めましょう。



以下に、佐野弘美共産党道議が共産党北区地区発行の「北区新報」(第1360号、11月20日)に寄せた講演会の感想を紹介します。

やっぱりいらない原発    佐野弘美 (道議会議員)



今回講演会に参加しました。
泊原発が立地する地盤について北電は、120万年前からの『岩内層』という岩盤で、ゆっくりとした広域的隆起が起こった場所として説明していますが、本当は12万5千年前の地層で、過去(それ以降)に起きた地震によって隆起した場所だそうです。さらに、泊原発の敷地内には活断層まで存在するそうです。北電のいうような安定した地盤ではなく、今後も活断層による地震が起こりうるということを、データを示しながら丁寧に説明されました。


重要なのは、原子力規制委員会が北電の説明を真に受けて、これらのデータに目をつぶっているということです。今年4月の熊本地震でも明らかなように、日本は地震列島であり、いつ、どこで起きるか全く予測できません。やはり日本に原発はいらない、この声と運動を大きく広げるためにがんばります。



「とめよう!原発再稼働 
   かえよう!福島切り捨て政治 
 国と東電が責任を果たすことを求める請願署名」
                 =新100万人署名推進を
  ―原発をなくす全国連絡会の
            小田川義和さん(全労連議長)が訴えー


  11月10日の講演会には、「原発をなくす全国連絡会」から小田川義和全労連議長がかけつけ、福島原発事故を無かったかのように切り捨てようとする安倍自公政権の暴走を告発し、フクシマ復興支援、原発再稼動阻止、全原発廃炉を、政府と東電の責任で行うよう求める新100万人署名への協力と来年3月のフクシマから6周年に向けて全国紙と福島県地方紙へのインパクトのある全面意見広告の成功、各地で集会やデモパレードにも取組み、政府と東電に責任ある解決を迫ろうと呼びかけました。


北海道でも11月から新100万人署名と
              全国紙意見広告に踏み出そう!


新婦人道本部は、目標の半分は新婦人でやろうと、新100万人署名用紙を支部・班へ送付しています。

原発連と国民大運動北海道実行委員会加盟団体は、それぞれ目標を決めて11月から新署名運動と全国紙意見広告掲載運動のスタートを切りましょう。毎月のイレブンアクション、チェルノブイリデーでも、新100万人署名を位置づけて取り組みます。ご協力をお願いします。

 


11月イレブンアクション 8団体10数人、
           道議会請願署名31筆


11月11日昼休み、紀伊国屋書店札幌本店前で、泊原発は再稼働せず、廃炉に!、大間原発は建設中止を!北海道を核のゴミ捨て場にするな!原発をやめて再生可能エネへ転換せよ!―の4項目の道議会請願署名への協力をチラシ配布しながら、マイクからも訴えました。(写真 下)
 

 
 
 
 


《原発ゼロをめざす地域の会の活動紹介》

 幌延深地層研究センター視察・現地交流ツアーを実施

9月24~26日「原発やめよう!登別の会」の活動から
 今回は、「原発やめよう!登別の会」が9月下旬、2泊3日の日程で取り組んだ幌延深地層研究センター視察・現地交流ツアーの概要を、「会」が毎月定期発行しているニュース第53号(10月5日発行)から転載します。ただし、左記の見出しは、原発連がつけました。

地下3500メートルの坑道で実物大(模型)の埋設試験を見学

 現地交流で「幌延深地層研究期間20年で撤退する協定を守れと
                         声を上げてほしい」と要請うける
 9月24日(土)に登別を「会」の代表兼事務局長の宮尾正大さんら会員6人で出発。幌延の宿泊施設に一泊し、翌日25日(日)午前中研究センターのPR施設「ゆめの地層館」の見学と地下350㍍の地下施設の視察、午後は地元で核のごみ施設誘致に反対している住民運動団体「核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会」との現地交流を行なってきました(写真)。
 「ゆめの地層館」の案内では、(地層館の)担当者が、2000年11月に北海道と幌延町との3者間で、「放射性物質を持ち込まない、使用しない」ことを約束した「幌延町における深地層の研究に関する協定」(3者協定)を強調し、館内の各所にこの「協定」が張り出され、研究後は地上の研究施設は閉鎖し、地下施設を埋め戻すということを何度も強調している態度が、逆に、「本当かな?」とのかんぐりと、幌延などでたたかい続けている方々の運動によって、追いつめられてきた結果かなとも思いました。
 地下350メートルの地下に造られている地下施設への視察では、作業衣、ヘルメット、蛍光安全帯、長靴、懐中電灯、軍手、入坑許可証など重装備で10人乗り位の工事用エレベーターで10分くらいで地下坑道を降り、担当者の案内で一周約800㍍の行動を歩き続けました。
 そこでは安全問題を強調しながら「大量湧水対策」「メタンガス対策」「地震計」などについて説明を受け、高レベル放射能汚染廃棄物についてガラスで固定化し、分厚いステンレスで囲い500キロにもなる高レベル放射能汚染廃棄物を梱包したものをさらに、粘土を主成分にした緩衝剤で覆い、重さ数十トンになったものを地下300㍍以深に埋めるという研究について、現物を見ながら説明を受けました。
 この説明を聞きながら、この「費用は誰が負担するのかな」と宮尾代表に聞くと、すべて国民の電気料金に含まれているとのこと。
 現地でたたかっている方との現地交流では、「幌延の地域では原発の廃棄物貯蔵などについてはタブー化している」「議員の多くが賛成している」「借金を持っている農家は、これで借金がなくなるとの話に乗ってしまった方が多い」などの話も出され、幌延には年間2億円から3億円の財源が交付されていることも知らされました。
 私たちの会に対する要望課題として「北海道知事に幌延深地層研究20年で撤退との取り決めを守り、撤退を約束した協定を守れとの声を上げてほしい」「各地域での原発問題に対する情報を共有化したい」「権力者の側が核廃棄物の新地層処分を決める前に反撃していきたい」などの声が寄せられました。(参加者の感想文などは紙面の都合で省略します)。

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《原発連ニュースにみる道原発連のあゆみ》   第5回  

 

原発連第2回総会のこと      菅野一洋 (道原発連 顧問)

 

「原発連のあゆみ」(以下「あゆみ」)第4回は、安全性の未確立な泊原子力発電所と幌延の「貯蔵工学センター」を設置しない条例を求める直接請求署名が54万人を集めたことについて、「北海道の社会運動の歴史に残る」と記しています。スリーマイル島原発事故(1979年3月)からチェルノブイリ原発事故(1986年4月)へと世界を震撼させた大事故が続く中で、北海道で初めて「泊・幌延」の原発問題が道民の前に立ちはだかったこと、そして、それとたたかったからだと思います。

 それには、原発連が発足から7年間の苦節に耐えて1988年4月26日、「住民の安全を守るために大衆的な運動組織を再建する」(議案書)として開いた第2回総会の大きな役割がありました。道民にとっても、道内の民主勢力にとっても原発問題はまったく新しい課題でした。運動を進める側には絶えず未知との闘いがあり、それへの献身が求められました。

 「あゆみ」第3回に、「札幌の鉄道病院の北側にあった統一労組懇の事務所から泊村(など現地)に何度も通うことになりました」というくだりがありますが、当時の活動家たちの毎日の姿を思い出させるものがあります。
 総会議案の「経過と情勢」では、「あゆみ」第1回に紹介されている「泊原発設置反対運動の第一ラウンドが終わりを告げようとしている頃」までの地元町村や漁協、住民組織などの原発「反対」から「条件付き賛成」に至るまでの推移、住民と科学者たちの共同など、さまざまな様子が語られました。 
 幌延では、全日農、新婦人、高教組、共産党が1982年に核廃棄物反対現地共闘会議を結成。続いて幌延、天塩、豊富、中川、稚内、名寄6市町の住民団体、個人が参加して「核廃棄物施設の 誘致に反対する道北連絡協議会」が発足した(1985年1月)ことが報告されました。原発連が札幌で、幌延現地調査の報告会を開いた(1984年11月6日)ことも報告されました。
全国各地の原発反対組織が東京に集い、「原発問題住民運動全国連絡センター」が結成された(1987年12月13日)ことが報告され、大きな拍手でこれを歓迎しました。
 総会は原発連発足後の活動を確認するとともに、当面の方針として泊原発運転反対と幌延「貯蔵工学センター」立地反対の署名の推進、学習会、「反対の会」への加入促進、各地域の運動の交流、「全国センター」への加盟などを確認。会の目的と運営、活動と財政などを取り決めた会則を第2回総会の決定としました。
 日本の原発が70年代に20基が運転、80年代には16基を運転しようとする国の原子力開発利用長期計画の急ピッチな推進の中で北海道は、北電が泊原発の核燃料搬入を強行(1988年7月21日)して試運転の準備に入り、動燃は1986年8月の強引な資材搬入に始まるボーリング調査(1987年)をもって幌延を事実上適地とする報告書を科学技術庁に提出するなど、道民の不安はいちだんと厳しいものとなりました。
 こうした情勢のもとで原発連は、道民の生命と安全に責任を持つ道行政が泊・幌延の運転と建設を中止する措置を取ることをもとめ、そのための道条例制定の直接請求に取り組む実行委員会の発足を各界によびかけることを決意しました。
1988年8月17日、「安全性の未確立な泊原子力発電所と幌延の『貯蔵工学センター』を設置しない条例制定直接請求」全道実行委員会結成総会が札幌市で開かれました。
 
 
 
 

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2016年11月9日水曜日

11.10講演会のお知らせ

 


いよいよ明日 11月10日講演会です。

 

2016年10月21日金曜日

原発問題連絡会ニュース 第277号 2016年10月20日



10・2泊原発見学ツアー 
        北電の安全対策の実態に迫る
 ― 原子力環境センター、とまりん館、泊原発を見学 ―



3・11フクシマ原発事故の年の秋、全国交流集会が札幌市で開催された時から5年ぶりの見学ツアーを実施、安全対策の実態に迫りました。参加者は、札幌市内のほか江別市、遠軽町丸瀬布、余市町、蘭越町から14人でした。
 
 最初に訪問したのは、泊原発から2キロ程度しか離れていないところにある北海道原子力環境センター。この施設は、泊原発近隣住民の健康や安全を守るために、環境放射線の監視や温排水の影響調査などを主な業務にしている道立施設です。ビデオ映像を見た後、職員から環境モニタリングの業務概要などについて説明を聞きました。参加者から、環境放射線量の影響、とくにトリチウムの排出量と温排水の漁業への影響などについて質問が相次ぎました。しかし、原発よる環境悪化や温排水の漁業への影響は認められていないとのことでした(写真 )。





 とまりん館では、ビデオ映像を写しながら佐藤公一副館長が、泊原発の仕組みの概要や安全対策の実施状況などを15分程度説明、若干の質問の後、館の車に乗り換えて敷地構内入り。まず海抜16・5mにかさ上げされた防潮堤の上を走行、16・5メートルの高さにかさ上げした理由は、地震と津波が同時発生し増幅し合った場合も想定し、津波が越波しない高さにしたものだと力説。続いて車で海抜75m地点にある展望台にあがり、展望台から泊原発全景を一望。快晴の秋空で見晴らしもよく、泊原発1、2,3号機の原子炉建屋と隣接する使用済み燃料貯蔵棟、タービンと発電機のある原子炉補助建屋、ろ過水タンクや純水タンク、原発専用港にある海水取水口や放出口の位置、山火事から原発施設を守るためにモルタルを吹き付けた防火帯(幅40~60㍍、長さ2150㍍)などについて、木下耕司とまりん館課長が順次説明しました。このなかで、安全対策の中心が、①津波から原発を守る津波対策、②電源喪失時の非常用電源確保対策、③炉心損傷を防ぐ水素発生抑制対策などにあり、耐震性の強化策は「ろ過水タンクも燃料貯蔵棟などは3・11後補強工事はしていない」「それらの施設や協力会社の建物などは、建築基準法が定める耐震強度を持っており、基準地震動が決まり、補強工事が必要となったものが出てくればその時点で補強工事を行うことになっており、今は補強工事はしていない」など、耐震対策は2の次という印象でした(写真 下)。結局、2000億円を超える巨額のカネをつぎ込んで、「絶対安全だとは言えない」原発の再稼働ありきで突っ走る北電の暴走ぶりを如実に示すものでした。参加者の感想を紹介します。

 フクシマ原発事故で南相馬市の実家を失った
           遠軽町丸瀬布から参加の小野正和さん

南相馬市にあった母親の実家が、福島原発事故で放射線が降り注ぎみんな避難を強いられ、鉄工所を経営していた従兄弟も含め、結局家も土地もすべてを失った過酷な経験をして、「一度北海道で唯一の原発・泊原発を見ておきたい」と参加したという遠軽町丸瀬布の小野正和さん(73)は、「じかに原発を見たが、あらためて本当に無用の長物だと思った。原発がなくても間に合っている。早く撤去してくれと言いたい」と。

フクシマ事故後いわき市で仕事し
       被災者差別の酷薄さを体験した余市の大物翔町議



余市町の大物翔町議(32)は、往路のバスの中で、いわき市で2012年8月から15年2月まで弁当屋さんの仕事に従事し、原発被災者に対する差別・分断がひどいと語り、ツアー参加者に衝撃を与えました。例えば、「東電から金をもらって昼間から遊んでいる怠け者」と非難され、「粗末なつくりの仮設住宅の窓ガラスが投石で割られる」、いわき市への避難者が増えて小学校不足となり、新しい小学校建設を陳情すると「東電から金をもらっておきながら、今度は税金で学校を立ててくれというのか」と非難される、などなど。

大物翔さんは今回見学した感想について「一番感じたのは、北電など専門家は安全だ、大丈夫だと言うが、それは原発を動かしたいからで、一般の人との感覚のずれがひどい。たくさんの設備を使って動かしている。施設の一つが壊れても替わる施設があるから大丈夫だという。しかし、危ないから沢山の施設・設備を用意しなければならないのだと思う。そういう危険な施設はいらないと強く思った」との感想を語りました。

北区から「初参加で貴重な経験ができました」と長屋いずみさん

泊原発視察前に北海道原子力環境センターを視察、担当者から説明を受けました。「ここの施設は放射線防護措置がされていません。重大災害時には10㎞離れたオフサイトセンターで業務を行うことになります。大規模災害時には、自衛隊などが対応することになるんでしょうね」と、なんだか他人事。また、岩内の大石美雪町議がかけつけてくれ、過去にプルサーマルの是非を問う全戸対象のアンケート調査を行なった経験と「今度は再稼働の是非を問う住民アンケートを行ないたい」と話しました。全戸対象アンケートとはすごいことです。また、冷却用海水に交じって稚魚が吸い込まれることが大きな問題だと話されました。いずれにしても生態系に大きな影響を及ぼしている、と感じました。
原発施設内の展望台では「2015年度は微量のトリチウムが検出されましたが40~60㌧の水で希釈して放水する、基準値以下で大丈夫です」と説明されたが疑問は消えません。初見学で貴重な経験ができました。



9月の立ち遅れを克服し、

    10月大きい前進を勝ち取りましょう
 原発連―「秋季組織拡大集中行動」で加盟団体、
          個人会員、ニュース読者など拡大中です

 道原発連は、9月から「秋季組織拡大集中行動」に取組んでいます。10月18日までに個人会員が新たに6人加入しました。ニュースを読んでくれる方も増えています。しかし、9月度は目標の3割に及ばず10月もまだまだです。残る10月下旬と11月の約40日間、大いに増やしましょう。加盟団体役員の皆さんをはじめ、原発連役員にご尽力お願いします。必要な資材は、このニュースと一緒に送付します。


10・8 STOP泊原発再稼働!

さようなら原発北海道集会に2500人    
         道原発連もノボリかかげ行進
 
 



 10月8日(土)午後1時開会で、泊原発の再稼働に反対する一点共同の全道集会が、札幌市大通西8丁目広場で開催されました。全道各地から2500人が参加(主催者発表)しました。



 集会は、最初にさようなら原発北海道実行委員会の呼びかけ人・小野有五元北大名誉教授・北星学園大学教授があいさつし、泊原発の避難計画が検討されているが、住民は被ばくが前提とされ、西風が多く札幌はもちろん全道が汚染される、一刻も早く廃炉にする以外にない、などと呼びかけました。(写真 上)


呼びかけ人の西尾正道北海道がんセンター病院名誉院長やルポライターの鎌田慧氏のスピーチのあと、ゲストスピーチとして、九電川内原発の再稼働ストップに奮闘している鹿児島反原発連の松本成一さんが、熊本地震をへて川内原発の停止と再点検を求める世論の高まりの中、裏方でたくさん苦労したが川内原発の運転停止と再検証を行うよう九電に求めるなどの内容で政策協定を結んで三反園訓氏を統一候補に決定、急速に現職知事を追い上げ、7万余票の大差で現職知事を破って勝利した経験を紹介、全国すべての原発を止めるまで頑張ろうと訴えました。

このあと市民団体の参加者、平和運動フォーラム関係の参加者、安保破棄実行委関係の参加者の順番にデモパレードを行い、沿道の市民に「泊原発再稼働反対」「泊原発いらない」「原発なくそう」などと元気よくアピールしました。道原発連は、ノボリを掲げて青年の隊列の後に続いて行進しました(写真 下)







泊原発再稼働ストップへ 
      道議会請願署名推進に全力

― 今秋から来春に向けて大きく前進させましょう ー

原発連と国民大運動北海道実行委員会は昨年9月から、①泊原発の再稼働に同意せず、廃止・廃炉を ②大間原発の建設中止を ③北海道を核のゴミ捨て場にしない ④再生可能エネルギーに軸足を移すーの4項目の実現を求め、道議会請願署名に取組んでいます。この間、6月には2310筆の署名を添えて請願書を提出、9月には、二次分として1600筆の署名を提出しました。請願は、道議会産炭地域・エネルギー特別委に付託され審議が始まっています。原発連と国民大運動北海道実行委員会は、10月の事務局会議で、今冬から来春にかけてたくさんの署名を集め道議会に反映させることを確認し合いました。ご協力お願いします。

この間、熱心に道議会請願署名に取り組んでおられる岩清水暢子さん(厚別区在住 原発連理事)の手記を紹介します。
 

道議会請願署名―今も道民の関心は高い。
    署名用紙を持ち歩き気軽に声かけ1筆でも多く集めたい



 「原発も核のゴミ捨て場もない北海道の実現を求める請願」署名は、数字的にはあまり芳しくなく、10月11日時点で4000筆ほどの署名を道議会に提出したそうです。少し前まで取り組んでいた『原発のない北海道の実現を求める全道100万人署名』で大奮闘して疲れたためなのでしょうか?それとも福島第一原発事故から5年がたち、人々の関心が薄れつつあるからなのでしょうか?

でも、毎月行われているイレブンアクション、チェルノブイリデーの署名行動では、たまたま通りかかり、わざわざ車から降りて署名して下さった方、こちらから呼びかけたわけでもないのに、すっと寄ってきて署名していかれた方、「頑張ってくださいね」と声をかけて下さる方、千円札を差出し「カンパです」と渡して下さった方…。まだまだ強い思いを持ち続けている人は大勢います。

 私は署名開始の頃、署名用紙は必ず持ち歩き、メーデー会場までの通路で、国民平和台行進の集合場所で、開会前の参院選総決起集会の会場で、衆院5区補選や参院選の電話かけ場所で、署名集めに頑張りました。署名は誰にでもできる『原発はいらない』の意思表示です。そういう方たちの思いを1筆でも多く集めていきたいものですね。(厚別区 岩清水暢子)
 
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《原発連ニュースに見る道原発連の歩み》  第4回 

 チェルノブイリ原発事故で安全神話が崩壊したなか、
      横路道政も泊原発容認へ   小室正範(道高教組中央執行委員)
 
 1982年9月には堂垣内知事に要求書、署名を提出。「7次策」(1981年)による石炭産業とりつぶし、夕張新鉱閉山に反対などの要求とともに、「安全性の確保できない泊原発計画の中止を求めるとともに、原発の新規立地はさせないこと」を求めましたが、自民党知事は計画を承認.電源開発調査審議会は1983年3月の第88回審議会で泊1、2号機を国の電源開発基本計画に組み込むことを決めます。
 一方、1984年には動燃がすすめる幌延町への放射性廃棄物施設建設計画が明らかになり、原発連は9月に、高レベル廃棄物処分施設「工学センター」計画に反対する現地調査(28~29日)を実施。この問題での「連絡センター」設置など、全道的な取組みを呼びかけました。
 このあと「核のゴミ捨て場ノー」と声を上げた酪農民を中心に人口3500の町民の中への宣伝などが取り組まれますが、同年(動力炉・核燃料事業団)は「立地環境調査」などの事前調査を強行。これに対し原発連の中心となっている統一労組懇が幌延町で住民集会を開き、住民宣伝(1985年12月)などを行いました。
 
 
 
1986年4月チェルノブイリ原発事故が発生。安全神話が崩壊し、道民が泊原発建設中止を求めているにもかかわらず建設をすすめる北電とこれを容認している道に対し、原発連参加の各団体が、泊原発の建設中止、幌延の高レベル放射廃棄物施設建設反対の行動に立ち上がりました。
道高教組などは5月10日、北電と道に要求書を提出。しかし、北電の回答は「(ソ連の原発は)日本の原子炉とはまったくタイプが異なる」「安全性は十分確保されていると考えている」「原子力は不可欠であり…建設を進める」というもの。道(横路孝弘知事)も「国に対し、より一層の安全性が確保されるよう強く求める」として泊原発建設を進める態度を明らかにしました。
横路知事は1988年7月21日、核燃料搬入、10月試運転開始という北電の無謀な計画も転換を求めず、運転を前提とした核燃料条例をこの年の第2回定例道議会に提出。当初原発反対の世論に押され「泊原発運転延期」決議案を出した与党・社会党道議団も、自民、公明の反対を理由に提案を取り下げ、共産党の共同提案申入れを拒否しながら核燃料条例には賛成という態度となりました。
運転開始が迫る中、運動の側も当初「試運転中止を求める道民投票条例直接請求運動」を行うとしていた全道労協が、これを「運転開始に対する道民投票」に変更。「ニュー社会党」道政「与党」となり、原発推進の同盟労組との「統一」という「労戦統一」の実際を示すことになりました。原発連は各界の広範な団体とともに「安全性の未確立な泊原発と幌延の貯蔵工学センターを設置しない」条例制定を求める直接請求に取組みましたが、わずかな期間で54万筆の署名を集める取組みが全道に広がり、北海道の社会運動の歴史に残る画期的な運動となりました。