2018年3月28日水曜日
原発問題全道連絡会ニュース 第294号 2018年3月20日
原発事故7年 フクシマを忘れない!
さようなら原発北海道集会に700人東日本大震災・福島第1原発事故から丸7年の3月11日、列島全体が追悼の祈りに包まれる中、札幌では午前10時から、かでる2・7大ホールでさようなら原発1000万人アクション北海道実行委員会による北海道集会が開催され、会場にあふれる700人が参加、原発再稼働反対、原発ゼロへの決意を固めあいました。
主催者を代表して北海道平和運動フォーラム事務局長の開会あいさつに続いて、呼びかけ人の小野有五北大名誉教授が「泊原発 再稼働してはいけない8つの理由」と題して講演。①泊原発なしでも電力はいまでも十分余裕があるうえ来年2月からの石狩新港のLNG火発の営業運転入りでさらに余裕が高まり泊原発は不要になる、②原発のコストは安いと言われたが税金を使って安く見せかけていただけで実際は高コストだった、③北電の原発依存度は日本一で、もっとも効率がよく環境面でも石油より優れているLNG火発を導入してこなかった誤りは重大、④しかも北電の泊原発の再稼働審査の主張には海底活断層による地震性隆起の否定や敷地内活断層の存在の否定など根本的な誤りが次々明らかになってきたーなどを示し、泊原発は再稼働させず、廃炉にする以外にないと訴えました。
このあとよびかけ人の麻田信二道生協連理事長のあいさつに続いて、ふくしま復興共同センターの野木茂雄事務局長が、現地福島の実態を訴え、国と東電に責任を果たさせ、原発をなくすまで頑張る決意を表明しました。集会後大通北側市道をデモ行進しました(写真)。
泊原発を再稼働させない3・1集会
暴風雪ついて約300人
数年に一度といわれる暴風雪で交通機関が次々運転中止や欠航に追い込まれる中、泊原発を再稼働させない北海道連絡会〈市川守弘代表〉主催の「泊原発を再稼働させない3・1集会」は、予定通り3月1日夜、札幌市民ホール大ホールで開催され、悪天候にもかかわらず約300人が参加、第1部のアーサービナードさんの講演と第2部の上田文雄&川原茂雄対談に熱心に耳を傾けました。
「アーサービナードさんから、
わかりやすい良い話が聞けました」
暴風雪で多くの飛行機が飛ばない中奇跡的に飛んだ飛行機で無事駆け付けたアーサー・ビナードさんは、「知らなかったぼくらの原発」「アトミックの奥にひそむもの」と題して約70分間講演。同氏は、1967年アメリカに生まれ、90年に来日、アメリカでは学校でも原爆投下は戦争を終わらせるために行った良いことと教えられてきたが、従軍カメラマンだった父が撮った原爆投下後の長崎の廃墟と化した写真を見て衝撃を受け、戦後長崎の地を訪れ、父が撮った写真の場所を探しあてた。さらにビキニ環礁での水爆実験で被ばくした第5福竜丸の無線長・久保山愛吉さんが、大量被ばくが原因で9か月後に亡くなったことなどを知り、核兵器はなくさなければならない、禁止するしかないと考えるようになった。日本に移住後、非核平和運動に参加するようになった。福島第一原発事故では多くの住民が被ばくし、全国各地に避難するなどの大惨事を目の当たりにし、また、全国各地で原発なくそうとの運動が広がったことなどに触発され、核兵器も原発も、核・アトミックの奥に潜むもの、それは核兵器も原発も人類と共存できないということだ。核兵器も原発もない世界の実現を願い、そういう社会の実現に向かって一緒に頑張っていきましょうなどと、わかりやすく訴えました。
―アーサービナードさんのサインセールも盛況
講演後ロビーで、本のサインセールに精力的に取り組んでいる姿も大変印象的で した。
「上田&川原対談は、原発のない
「上田&川原対談は、原発のない
北海道の実現めざす刺激的話で励まされたわ」
第2部の上田・川原対談では、昨年の衆院選で市民と野党の共闘を前に進めた両氏の訴えに、参加者は熱心に聞き入りました。「核廃棄物の処理技術がないまま原発建設が進み、危ないものはやめなければと危機感を持っていた」と述べた上田氏は、「市長時代に泊原発周辺自治体からの避難者受け入れ態勢は作ったが、市民の避難計画はつくれなかった。自治体として原発にどう対応するのかが問われる」と強調しました。
川原氏は、国、規制委員会任せで自分の判断を明らかにしない高橋知事を批判、「もっと積極的に発言し、世論を起こしていくべきだ。国、規制委待ちではなく、住民の声をくみ上げて発信すべきです」と指摘し、「私たちが世論をつくるため、“原発を再稼働させない道民署名”を集め、知事に突きつけよう」と呼びかけました。
川原氏は、国、規制委員会任せで自分の判断を明らかにしない高橋知事を批判、「もっと積極的に発言し、世論を起こしていくべきだ。国、規制委待ちではなく、住民の声をくみ上げて発信すべきです」と指摘し、「私たちが世論をつくるため、“原発を再稼働させない道民署名”を集め、知事に突きつけよう」と呼びかけました。
3月12日、JR札幌駅西出口にある紀伊国屋書店札幌本店前で東日本大震災・福島原発事故から7周年の「鎮魂と連帯」のメモリアル行動が取り組まれました。主催は、原発問題全道連絡会と国民大運動北海道実行委員会。かかげた横断幕が吹きつける冷風であおられるなか、8団体から15人が参加し、東日本大震災と福島第1原発事故への支援の継続と泊原発を再稼働せず直ちに廃炉にしましょう、道知事に再稼働を認めないよう求めましょうと泊原発を再稼させない道民署名への協力を呼びかけました。
【道原発連ニュースにみる道原発連の歩み】 第17回
今号には、第83号(1997年1月5日)から第89号(97年5月1日)までを取り上げます。
【帯広】原発をなくす十勝の会と泊原発の廃炉をめざす会十勝連絡会は11日午後1時、JR帯広駅南口前で「さようなら原発」「NO
NUKES十勝集会」を開催。色とりどりのノボリやプラスター、横断幕を掲げ十勝管内19市町村から83人が集合し、「原発は再稼働も輸出もNO!」「泊原発は再稼働せず、そのまま廃炉に」「十勝の大地から自然エネルギーを推進していこう」などと元気にコールしました。
【苫小牧】脱原発・自然エネルギーをすすめる苫小牧の会は11日、「フクシマを忘れない!苫小牧集会」を開催、120人を超える参加者を前に、斎藤武一泊原発の廃炉を求める訴訟原告団長が、原発紙芝居「泊に原発を作った罪」を上演。泊原発対岸の岩内港で40年間、温廃水の影響を調べ、町の宝のスケトウタラ漁の漁船が1979年の200隻が、今年2隻にまで減った」と告発しました。浦田操会長は「被災者と連帯し、子供や地域のために原発なくせの活動を広げましょう」と訴えました。
【手稲】手稲区革新懇や市民の風・北海道の人たちが11日、東日本大震災と東電福島原発事故の犠牲者と被災者に国と東電は責任をもって支援を!と、JR手稲駅前で「追悼スタンデイング」を行い、30人が参加しました。
この行動には、立憲民主党の本多平直衆院議員も参加し、「野党4党で原発ゼロ法案を衆議院に提出した」「「今日から原発ゼロのスタートに」と語りました。
【標茶】標茶・原発ゼロをめざす会(羽田光雄会長)が11日、広く町民に呼びかけ、街頭宣伝に取り組み、会員以外の人もスタンデイングに参加。4人の町議らがマイクを握り、原発ゼロを訴え、西山順事務局長から「宣伝中に98台の車が通り、アピールできました」と報告。
【岩内】11日に午前10時から大型スーパー前で原発問題後志住民の会のメンバー6人で泊原発を再稼働させない道民署名に取り組み、1時間で85筆の署名が寄せられ、原発の地元町民の再稼働への不安の強さが示されました。
【岩内】11日に午前10時から大型スーパー前で原発問題後志住民の会のメンバー6人で泊原発を再稼働させない道民署名に取り組み、1時間で85筆の署名が寄せられ、原発の地元町民の再稼働への不安の強さが示されました。
【道原発連ニュースにみる道原発連の歩み】 第17回
今号には、第83号(1997年1月5日)から第89号(97年5月1日)までを取り上げます。
北電が、泊原発3号機新設へアセス開始、プルサーマルも検討と表明。幌延の核廃棄物施設誘致問題は油断せず断念まで運動を
第83号の新年のあいさつで斎藤敏夫代表委員が、「情勢と課題に見合った運動を」と題して、兵庫南部地震(95年1月)を受けて、原発の耐震安全性の総点検、“もんじゅ”事故(95年12月)の第三者機関による徹底調査と原子力災害対策の確立という全国的課題を明らかにするとともに、北海道では、北電による泊原発3号機新設のアセスメント開始とプルサーマル使用検討中という重大な動きをストップさせる闘い、国際熱核融合実験炉(ITER=イーター)の苫東基地への誘致反対のたたかい、幌延の核廃棄物施設誘致阻止の闘いが浮上してきており、本格的な論議と運動が求められていること明らかにしています。ニュース後段には「いま『幌延』はどうなっているか」として動燃が核廃棄物の地層処分の研究開発計画発表以来10年間で40億円もの予算を使って何種類もの宣伝物や子供向けイベントなどを行って浸透をはかろうとして、周辺町村への宣伝に余念がないとする記事を書き、計画断念までもっていく運動が必要だとしています。
動燃・東海再処理工場爆発、放射能漏れで被爆作業員35人に 道原発連は泊原発のアスファルト固化施設を調査し申入れ
第85号(97年3月14日)は、3月11日に発生した動燃・東海再処理工場での爆発・火災事故を大きく取り上げ、原発問題住民運動全国連絡センターが3月12日、科技庁と動燃に行った緊急の申入れ3項目(第3者機関による徹底審査と結果の公表、再処理工場の運転中止、繰り返されている事故通報の遅れの抜本的対策)を明らかにしています。
第86号(97年3月23日)には、「報道に見る『動燃』事故」として、「道新」「朝日」「赤旗」3紙が報じた3月12日から3月20日までの動燃事故に関する各紙の見出しでマスコミの動向を注視し、動燃の事故隠し、情報隠し体質を告発しています。
第87号(97年4月11日)は、共産党国会議員団北海道事務所と道原発連が4月3日、爆発・火災事故を起こした動燃と同型のアスファルト固化施設を持つ北電泊発電所を調査し、「なぜアスファルト固化施設を使うのか」とただし、北電側が「セメントに比べ廃棄物の量を5分の1に少なくできる」「動燃のようなことが起きるとは思いつかない」と言いながらも、「動燃の事故調査の結果いかんによっては検討する」と述べたことを明らかにしています。
チェルノブイリ事故11周年 泊原発3号機を考える4・26シンポ(in岩内)140人の参加で大成功
第88号(97年4月19日)は、4・26シンポへの参加を呼びかけるキャンペーン特集、第89号(97年5月12日)には、4・26シンポを道原発連、泊原発の運転に反対する後志住民の会、共産党小樽地区委員会の共催で岩内地方文化センターで開催し、後志管内のほか長万部や札幌など16市町村から会場いっぱいの140人が参加し大成功したことを特集しています。パネリストの萩原信宏道議が86年のチェルノブイリ原発事故後に起きたウクライナやベラルーシの小児の甲状腺がん多発が、ソ連(当時)政府やIAEA(国際原子力機関)などの情報隠しによって95年11月まで隠され、救済・医療が長年行われなかったことを告発。北海学園大学の小田清教授は、北電の原発新増設の主張にはまともなエネルギー政策がなく原発ありきだと批判、原発マネーは、地域経済の活性化に役立つというのは虚像だと厳しく批判。地元の伊藤正明泊村議と小林靖幸岩内町議は、原発立地後の地元の村や町の人口減や農・漁業の後継者不足の現状などをリアルに報告、参加者から積極的な感想が多く寄せられ、大きな成功を収めたと報じられています。(米谷道保記)
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